| 日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。 |
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【25年12月13日】
昨日は、所用で市内にでかけたのだが、突然のみぞれに降りこめられて、慌てて車の中に逃げ込んだ。黒い雲の塊が、上空を覆っているのをフロントガラス越しに眺めやりながら、本格的な冬の到来を実感したものだ。
ところが一転、今日は朝からまるで秋のように、青空が広がり、陽光が暖かくふりそそいでいるという状態だ。やわらかい日差しに照らされて、住宅地の家並がのどかに光を反射しながら広がっているのが、中二階の居室の窓から眺められる。小春日和という季語があるように、冬のさなかに、寒気の緩むときはあるのだけれど、その変化の様がちょっと極端な気がして、やれやれと思う。夕方からは雨。雲の移動によっては昨日のようにみぞれ、あるいは雪が降りだすということもあるのだろう。天候の変化に同期するように、こちらの体調も乱れがち、というのがなんとも鬱陶しい。
途中の「若菜」の章から読み始めていた『源氏物語』も数日前に読了。『謡曲集』を読み始める。今のところ、ただ読んでいるという状態だけれど、そのうちにその読み方になじんでゆくことになるのだろうか、と思う。舞台劇を、劇を見ないままに、その台本を読んでいるみたいなところであろうか。とはいえ、今はまだ全然慣れないけれど、古典文学作品の綺羅星のような言葉の集合体、結晶体ともいわれるような『謡曲』を読むという事は、演劇の台本を読むということとはまるで違う面がきっとあることだろうと思われる。ということで、ともかく言葉に目をさらす、ただ読んでみるということに集中する。
「しじみ汁」が美味い。毎朝見ているNHKの朝の連続ドラマ「ばけばけ」の影響であろうか。いままで自分ではいちども作ったことのない「しじみ汁」を作って、そしていただいてみて、その滋味の深さ、濃さに感心した(「自分で作った効果」も多少はあるのかもしれないが……)。この冬、「しじみ汁」にはまったと言ってよいと思う。ついでにいえば、柿の美味しさにも目覚めた。今まで、柿という果物は、年に一二回、たまたまあるので食べるようなものであったけれど、知り合いにいただいた干し柿が火付け役となって、柿そのもののやさしい甘さに目覚めたようだった。こちらの方は、ほぼ毎日食卓に一回は柿がが乗っかっている。固めのこりこりとした触感が口にあう。今年は、柿の当たり年でもあるようで、価格も手ごろでとてもありがたい。
【25年12月06日】
この時期に送られてくる「喪中」葉書。すでに3枚が届いているけれど、その中の一枚を見て驚いた。現役時代の職場の同僚についての「喪中」謝絶の葉書が含まれていたからだ。かなり厳しい職場環境の中で、それでも結構楽しく仕事を続けられたのは、彼を含む同僚の人たちとの人間関係が大きな支えになっていた。私より二十歳近く年下のがっちりした体格のエネルギッシュな人物であるというイメージが、職場を離れて以降も彼に対する変わらないイメージであったのだけれど。本当に突然の思いがけない訃報であった。当時の同僚の一人に電話をかけ、久闊を叙するとともに、彼のことについて尋ねてもみた。彼にとっても本当に突然のことだったらしく、本当なら今日一緒に酒を飲みに行く約束があったのだとの、電話の向こうでの彼の返答だった。
まだまだ現役の年齢での突然の訃報で、彼がなくなったという事実が、心の中ではまだ現実味をおびない状態である。
【25年12月01日】
十二月に入った。昨日、今年最後の大きなイベント「第九」コンサートが終了。今年は、俳句大会三つ、コンサート一つに関係してきた。高齢の母と私、そして犬一匹の暮らしの中で、日常の様々をこなしつつ、イベントの企画、立案、準備、さらに作品創作やレッスン、夜の会議、そして本番当日を迎え、複数のイベントのスケジュールの重なりの中で、ともかくやりこなしてきた。たくさんの人たちとの協働活動の中で、自分なりによくやった、と評価しても良いように思っている。
特に、昨日の「第九」コンサートは、いままで参加してきた多くのコンサートの中でも、最上の部類に属する演奏会であったと思っている。神がかりとまではいわないけれど、確かに何かが見えないものが助力を与えてくれたような、幸運な演奏会であったと思う。
今年も、残り一月。お節の注文も終えたし、すべきことは結社誌の選句の分担くらいのこと。のんびりと年末を迎えていきたいことだ。