日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。 |
24.12「日々録」 | 25.1「日々録」 | 25.2「日々録」 | 24.3「日々録」 | 24.4「日々録」 | 24.5「日々録」 |
【25年6月30日】
旧暦の6月30日は、「水無月祓」で、半年間のさまざまな穢れを祓い清め、残りの半年の安寧を祈る行事がなされるのだが、新暦の6月30日であれ、1年の半分が終了したことを色々と振り返り、残りの半年をどんなふうに過ごしていこうか、などとちょっと考えてみても良いのかもしれない、と思う。ちなみに旧暦6月30日は、今年度は新暦の7月24日にあたるらしいけれど……。暑い盛りだ。
今日は、犬のトリミングの日。40分ほどかけて、店まで犬を送り届ける。犬も、すでに車での移動に慣れてしまったようで、移動中キャリアバックの中ですっかり眠りこんでいた。11時に送り、2時にお出迎え。すっかり夏バージョンの刈り込みに変わり、目鼻立ちすっきりの可愛い犬に変身していた。帰宅までの40分、今度は疲れて眠りこけるという状態。犬にとって、トリミングの間、じっとしていることは心身ともにずいぶん負担になることのようだ。。帰宅後ももっぱら寝て過ごす。
夕方から合唱の練習。市内まで。「第九」に向けての練習は、本番指揮者のレッスンを目前に、ずいぶんスピードアップしたものとなる。初心の方には、過酷な練習になったことだろうと思う。
9時過ぎ、帰宅。夕食はとらないで、軽く晩酌。ちょっと酔う。もう、今日は以上で終了!と思う。
【25年6月26日】
夜中に、ナースコール。急いで階下へ行くと、母が起きていて、犬が寝ないと困っていた。たしかに、犬は落ち着きなく室内をうろついているし、どうしたのかと思う。体調不良であれば、厄介なことだけれど、とりあえず水を飲ませに台所まで連れて行くと、水入れに2杯、お替りで水を飲む。落ち着かない原因はそれかと思うけれど、寝室に帰ってからも、あちこちとうろつく。夜はすんなり眠りにつく犬なので、本当にどうしたもんかと思っていると、雷が鳴りだした。というより、母によると断続的に雷が鳴っていたらしい。こちらは先ほどまで眠りこけていたので、そのことにまったく気が付かないでいた。引き続き雷は鳴り、その間犬は室内をあちらこちら移動しては、眠ろうと努めているようだった。落ち着きなさの原因が、どうやら雷らしいと気づいて、そのまま自室に帰って、すぐに眠ってしまった。
翌朝、5時前に目を覚ます。昨夜のことがあったので、まだ雨が残っているだろうと思い、今日の朝の散歩は遅い時間で良いなと思ったのだが、念のためカーテンをひいで外をみると、すでに雨は降りやんでいた。地面の方も結構乾きつつあるようなので、二度寝をあきらめて、起床する。
散歩の前には、こちらの体調を整えて、軽くお腹にものを入れ、薬を飲んでから犬を連れて散歩に出るのがいつものことなので、結局朝寝はなしで、結構涼しい中を散歩に出かけることとなった。
日が昇ると、陽光にさらされる部分はすでに暑いけれど、気温自体Hはまだ低いので、犬も息を切らすことなく散歩ができる。
【25年6月21日】
母と私の寝室は、一階と二階にわかれていて、夜間の連絡にはナースコール(簡便なものが販売されている)か、スマホによる。今朝は、5時半前にスマホでの呼び出しがあって、その後7時半くらいまで、2時間程色々と話をしていた。以前は、結構頻繁に呼び出しがあったけれど、今では2週間に1度くらいに減っている。その内容も、母自身と言うより、一緒に寝ている犬についてのものが多くて、その内容は大半がのどの弱い犬の状態を心配してのものだった。ごくたまに、朝胃液を吐くことがあって、その始末に呼び出されたりもした。早朝の呼び出しが多いけれど、こちらは日によって、3時くらいから起きてていることがあり、普通でも4時か5時には完全に目を覚ましているので、早朝の呼び出しといっても、特に不都合はない。
とはいえ、昼間、漢文などの難しい文章を読んでいる時には、強烈な睡魔に襲われることはあるけれど。『源氏物語』の時は、不思議にそんなことはないのは面白い。『源氏』の方は、一回の読書で5〜6ページくらいを読む。時間的には、30分から40分くらい。最近は、読書1回の集中時間が、そんなものであるせいによるのだろうと思う。
【25年6月20日】
前回、書き込んだのが7日、そして今日は20日。正直、えー、もうこんなに日数が過ぎていたのか、との思い。毎日の時の経過が速すぎて、高齢の母ともども、一日がたつのが速すぎる、と嘆きなのか、感嘆なのか、お互い感慨を口に出しあったりしている。
単調な毎日、というわけでもないので、母共々日々ぼーと過ごしているわけでもないのだろうに、こんなありさまになってしまう。困ったという思いはないので、ほぼまあこれでよいか、などとも思ってはいるのだが……。
最近になって、ちょこちょこと句会の選者の依頼があったりする。地元の句会なので、ボランティア的なものだけれど、昨日は「些少ながら」謝礼を、などというものもあったりする。ありがたいことである。。
先月は、岸元尚毅さんの講演をお聞きする機会があり、来月は神野紗希さんの講演会が地元で開催される。諸般の事情で自由に身動きがしづらい状況の中で、こんな機会は本当に滅多にないことなので、是非聴講に行こうと今から思っている。
季刊で、個人誌を送ってくださる方がいて、毎号興味深く読ませていただいている。近世文学の愛好家であり研究者でもあるというスタンスのかたで、現在は石田梅岩の「心学」関係の内容で、数号連載を続けておられる。こちらは全くの門外漢なので、「心学」関係の諸文献を分かりやすく紹介、解説していただくのは、興味深く、楽しい。俳人である著者の句作品についても、「心学」的な背景を想定して読むと、日常的な些末と思われるあれこれを詠われる筆者の作品も、日常生活の中の心理・心情の機微などを平易に詠われる作者の作柄について、なるほどと共感されることもあったりする。
【25年6月7日】
スマートウオッチ連動のスマホの健康診断を見てみると、昨夜の睡眠は評価87点とそこそこの判断が出ている。睡眠の深さやら、心拍数やら、途中で目をさました回数と時間やら、呼吸数とその深さやら、いろいろと結果が表示される。時計が収集した身体病状況の数値をスマホのデータが統計学的処理を施して一定の目安として情報を提供しているのだろうか(実際のところはわからないけれど)。ともかく、ひとつの体協判断の情報として、結構『そうなのか』などと思って見ている。
暑さがましてくると、この地域では小さな虫が繁殖して、やおら地を吸いに飛び回ることになる。犬の散歩の際の大敵にもなっているので、なんとも鬱陶しい。気温が一定以上にあがると、その活動は活発化するらしく、その結果、気温が危険ラインに上がる前に犬の散歩に出かける必要があろ。ということで、今日も早めに出かけることになる。とはいえ、すでに日はのぼっているので、日差しはもう暑い。虫は、もちろん人間にもたかってくるので、うっとうしいことこの上ない。しかも、刺されると大変痒い。人間の場合は、首周りを集中してねらいすましてやってくる。犬の場合も同様、首周りや両脚辺りをめがけて飛んでくるようだ。散歩の間中、虫への注意を怠らないようにして歩く。
大会がひとつおわったけれど、すでに次の大会に向けての準備を進めなければならない。慣れないことが多くて、正直かなわんなー、と思う時もある。まあ、仕方がないけれども……。
【25年6月3日】
1年の準備期間をかけての催しが、金・土両日に開催。予想以上の盛り上がりで終えることができて、ほっと一息つく。残務も大方終えて、あとは本部の方におまかせする。これでひとつ終わり。次は10月に1年越しの二つ目の催しが控えているけれど、手間暇と言う点でいえば、こちらのほうがより大変なので、明日辺りから続きを始めなければならない。ただ、今まではふたつの催しを同時進行的に準備を進めてきたので、その一つが終了したことはありがたい。11月には、別分野での三つ目のもよおしがあるのがけれど、そちらのほうは主力というわけでもないので、ありがたい。
けっこう年をとってから、公私含めてこんな状態になるというのは、思いもしなかったことなので、ありがたいやら迷惑やら、複雑な気分ではある。けれど、プラス、マイナスという点で差引すれば、きっと自分にとってはプラスなのだろうと納得もすることだ。
今日は半日、梅雨の走りの雨、なのだろう。犬の散歩もないので、今朝はずいぶんゆっくりと寝ていた。とはいえ、夜中にどうしても目が覚めてしまうので、総睡眠時間数はかなり短いように思う。そんな状態で、車の運転中に、眠くなったりするのは、ずいぶんヤバイことだと思う。時に、人を乗せての運転中は、特に気をつけねばと思う。会議のために遠出をするときなどは、同行者を乗せて高速を走ったりもするので、ますますヤバイと思ったりもすることだ。眠るにもエネルギーが必要らしいけれど、そのエネルギーが不足しつつあるのだろうか、とも思う。ヤバイ、ことだ。