日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。 |
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【25年5月21日】
久しぶりの大雷雨。落雷の響きに思わずドキリとしてしまう。犬が、なんとなく不安そうな様子で、そばに近寄ってきたりする。犬は、大きな音が苦手で、近所の犬は工事現場の機械音のせいで、人間でいうPTSDの状態になったりしたことがあったようだ。最近は、かなり回復してきているらしいけれど、それでも、散歩が難しい状態の時があるらしい。
ドジャースは、やっと4連敗から脱したようだ。先発投手やリリーフ陣の手薄さが、そんな状況をまねいたようだ。投手陣がダメだと、母などは試合を見ながら、しきりに不満を言い立てたり、嘆いたりする。ずいぶん高齢の母だけれど、昨年の大谷ブームいらい、野球に(ドジャースの試合に)興味を持ったようだ。今は、野球から相撲へと番組がつながっているので、しきりにテレビをみたりしている。ありがたいことだと思う。
合唱は、新しいシーズンに入った。年末の公演に向けて、準備が開始された。スタッフが強力なメンバーなので、具体的な運営に関しては彼らに完全にお任せして、こちらはぼっとして、時折挨拶に引っ張り出される程度のことになっている。きちんと訓練された喉の持ち主ではないので、はたしていつまで歌うことができるのだろうか、とおぼつかない部分はある。歌うことは、楽しいのだけれど……。
俳句の方は、いろいろと、あちらこちらに引っ張り出されて、合唱とは別の状況になっている。人材不足ではないか、と改めて思う。とはいえ、やっていることはまあ面白く感じてはいるのだけれど。
色々なことがあるものだ、とこれも改めて思ってみる。
【25年5月9日】
花散らす雨という言葉はあるけれど、今夜の雨(そして風は)はツツジを叩いて、しおれさせる雨になるのかもしれない。大きな手毬のようなツツジの花の塊が、しおれ朽ちていくのは、さすがにちょっと感傷的な気分をもたらすものだ。
中二階の部屋、自分の書斎みたいにして使っている部屋をちょっと模様替えする。配置を変えて、より機能的な配列に組み直すことにした。大きな水屋的なものを持ち込んで、生活感の方も少々変化をもたらしてみよう、などと思う。これに小机を加えれば、下に落ちなくても、この場でコーヒーをたてて飲むくらいのことはできそうな環境にはしたいものだ、と思う。まあ、いずれにしろ部屋の模様替えと言うのは、めんどくさくもあるけれど、それなりに面白くもあるものだ……。
大谷の11号HR。前の回のエンタイトルツーベースがHRだったら、一挙に点差は2点になって、大谷のこの一発が、よりインパクトをもつものになっただろうになあ、と思う。日本の野球は、まるで見ることはないけれど、昨年の大谷の活躍以来、そちらの方の中継は見るようになった。応援のどんちゃん騒ぎがないことと、試合進行のスピーディーなことと、突然の逆転劇とか、試合の展開が結構面白いなと思いつつ、見ている。
【25年5月7日】
連休も早々に終了。こちらとしては、GWといっても、特に変わったところはなく、ただ、犬の散歩で近所を歩いていると、どこからかバーベキューのにおいがしてきたり、子供たちの声が響いていたり、駐車している車の台数がぐっと増えているのに気づいたり、ということはあるのだけれど。普段は、本当に閑静、というのか、閑散としている町並みだけれど、さすがにこの期間は華やぎめいた雰囲気がどこかに漂っていて、ああ、今や連休なのだなと思ったりしたのだが……。
庭は、ピンクや白のツツジが、ありふれた言い方だけれど、今を盛りと咲き誇っている。丸く刈り込んでいるので、ピンクや白の大きな鞠が二つ、三つ庭に置かれてあるような状態で、そんな庭の様子を親戚のLANEに紹介したりする。今年はなぜか、例年以上に花数の多かったアメリカハナミズキも、ほとんど散り落ちてしまっていて、ツツジとハナミズキのコラボ状態を今年は写しそびれてしまった。やがて、山法師の花が咲き始め、キリシマツツジの赤い花も咲くことになるのだろうけれど、そんな律儀ともいえる季節の移り行きに、なんとなくぽつんと取り残されているような思いにもなることだ。
取り残されているというよりは、そんな自然な時間の流れとはちょっと違った時の流れの中に身を置いている、ということなのかもしれないけれど……。