日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

         
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【18年10月30日】

面倒くさいから、手っ取り早くことは済まそう。後のことは知ったわけではない。今現在の自分とその周辺の利益と安穏が保てれば、それでよい……、みたいな雰囲気が、個人の生活から政治の世界まで蔓延、あるいは浸透しているような、そんな気配のことを思う。無理やり未来に希望を掲げることはやめ、無批判に現在と過去とにもたれかかり、妄想的に生活と歴史を再構成し、虚構化しドラマ化し、その劇中劇みたいな世界に酔う中で、すべてを帳消しにして今を忘れよう、みたいな世界の姿をふと思ったりもする。

谷川俊太郎の『悼む詩』を読んでいる。タイトルのごとく、死者に対する弔歌をまとめた詩集である。その中の数編の詩のさりげない一節の表現に、言葉の世界が意味の世界から離脱して、奇妙な空間にこちらの魂とでもいうものを誘い出していくようで、ちょっと不思議に嫌な感触を感じさせるものがあった。嫌悪というわけではない。なぜか微妙に嫌な感触だった。一体、何なのだろうか。谷川俊太郎自身が、ちょっと人から浮遊している部分でもあるのだろうか。表現はその反映か。それはとてもすごいことのようにも思われるけれど、でもどこかに嫌な感じがつきまとってゆくようだ。

日を措かずして、T先生とI先生から最新の句集を送っていただいた。I先生は、数日前松江で開催された某結社の90周年記念大会に、俳人協会からのゲストとして出席されたのにお会いすることができたばかりだった。懐かしかった。T先生の句は、個人的にはここ数十年にわたって、常にすごいなと思い続けてきたものだ。何をどう詠おうとも、おのずとそれが俳句となっている、そんな感じをずっと持ち続けてきた。なぜそうなるのか、不思議でならない。


【18年10月27日】

安田さんが無事帰国されてよかったと思う。その顛末については、いろいろ意見はあるようだけれど、少なくとも井戸端会議的な「世間様にご迷惑」というレベルでの話は、島国日本に通用する程度で、世界的な問題認識からはかなり遠い地点でのおしゃべりということになるらしい、とはネットでいろいろ発言を見てみての感想。
あの安倍晋三ですら、外遊途上なのか会議においてなのか、いずれにしろ各国の首脳に対して、安田さんのことを話題に出したということらしいから、彼もまた安田さんの無事帰国を念頭においていた人物の一人であったのだろう。たとえ、世界情勢が変化し始めた最近2か月辺りから、それなりに動きだしたらしいというような状態であったとしても。
「自己責任論」を引き合いに出しつつ、安田さんを闇雲に非難しようとするごく一部の人たちは、少しは安倍晋三総理大臣の姿勢を見習ってほしいものだとつくづく思う。

送っていただいた日本酒。銘柄は桐箱入りの「純米吟醸 玉柏」というお酒であった。普段は晩酌などあまりしないのだけれど、まして飲むのは日本酒以外という状態であったのだけれど、今は毎日ちびりちびりとこのお酒をいただいている。普段日本酒を飲みつけていないせいもあるのかもしれないけれど、このお酒は本当においしい。少しづついただきながら、ある種幸福な陶酔感をしみじみ感じているようなありさまだ。お酒を飲んでのこのような経験は初めてなので、少々びっくりしてもいる。送ってくださった方が、「大」の付かないお酒の方がおいしいという知り合いの方の言葉を紹介してくださったりもしているけれど、きっとそうなのだろう、と納得させられる思いになる。

10月もまもなく終わろうとしている。今日などは、外に出ると本当に寒いくらいであった。「歩き」には寒い方が好都合ではあるけれど、できればもうすこしぽかぽかしていてくれても良いかな、などと勝手な思いにもなる。
ここ数日をかけて改修していたカーポートが、どうにか使えるようになった。もともとは芝生が下に敷いてあったらしい部分がいづれも地面むき出しの状態になり、その部分が細かい土だったため、ちょっと風が吹くだけでそれが舞い上がって車がひどく汚れたりしていたのだ。その部分をコンクリートで固めて、なんとか土ぼこりが防げるようになった。
築年数がかなりかさんだ家で、他にも数か所手を入れる必要のある場所があるけれど、それは時期をみてすこしずつやるほかはないか、と思う。ちょっとずつ手をかけながら建物の寿命を(自分の寿命と照らし合わせつつ……)延ばしていかなければ、と思う。


【18年10月24日】

大変おいしい日本酒を送っていただいた。さっそく、試飲。ちょっと辛口で、芳醇な味と香り(定番の言い方かもしれないけれど)につい飲みすぎてしまったようだ。大変、良い(酔い?)気分、というオヤジギャグまで登場する始末ではある。
日本人の一部の人は、なんでも自己責任と決めつければ、錦の御旗を自分のものとしたかのように、おおっぴらに他人を批判し始める。何様の発言、とちょっと思ってしまう……。
自らの健康は、自らの責任で守るべき。ごもっともな発言である。不摂生な生活をする連中の医療費を、なぜ健康な自分たちが負担しなければならんのか、大臣の発言としても御もっともなものなのだろう。でも、当たり前に言われるように、なぜ不摂生な生活を送ることになるのか、なぜ健康で文化的な生活を送ることが困難であるのか、という点に関しては、大臣自身にも大きな責任の一端があることを、彼は自覚しているのだろうか。様々な事情により「不摂生な生活」を送る国民に対し、節度ある生活に導き、その日常を保証するところにあなたたちの仕事はあるのではなかろうか。まるで他人事のように、上から目線の発言は、なにか大きな勘違いをしている、その証拠ではなかろうか。大金持ちで、権力を背景にした、おぼっちゃま大臣様……。


それにしても、送っていただいたお酒は本当においしい。普段は、日本酒は飲まないようにしていることもあって、その芳醇で豊かな味わいが一口の酒の中にたっぷりと含まれていることを、つい忘れているようだ。カロリーが高めということで、敬遠してしまう日本酒だけれど、こんなおいしいお酒を一端いただいてしまうと、ストイックな気分が完全に瓦解してしまいそうな思いになる。全く、罪作りだな、と思う。


【18年10月20日】

オリオン座流星群の極大日が19日から21日あたりらしい。記事によっては、22日とするものがあるようだけれど、ここ数日の深夜が流星群の見ごろらしい。昨夜、夜中に目が覚めたので、ちょっとだけ流星群観察。二階の窓から、雲間にオリオン座が都合よく覗いて見えた。窓辺から、20分くらい観察をしていたが、ごく限られた空の範囲ということもあり、かなり長く尾を引く流星をひとつ認めることができただけだった。とはいえ、空の状況は悪くはなくて、オリオンの三ツ星がくっきり見えるほどのシーリング状態ではあった。
今夜もけっこう雲の塊が浮かんでいるような状態ではあるが、夜中に起きて南の方向を眺めてみようと思う。

今日もまた、いろいろこまごまとした用事に追われて一日が終わってしまったようだ。読書は、まったくできなかった。「歩き」もまた十分にはできなくて、ちょっとまずい状態だなと思う。息抜きになったのは、図書館へ本の返却へ行ったことぐらいか。ついでに、図書館の周辺を少し歩いたけれど、シャッター商店街になっている通りが、今日は思いのほか人出があって驚く。月に数回、フリーマーケットのような催し物が開催されていて、そこに人が集まったらしい。私がうろうろしたころは、すでに閉店時間にかかっていたらしく、後片付けをする人たちの姿を眺めるばかりの見物になってしまった。骨董市みたいなものも開かれていたらしく、まだかたづけられていない壺や皿をしばらくながめたりする。

人が生きたまま切り刻まれたり、免振用のダンパーに不正があったり、国務大臣に斡旋収賄の容疑がかけられていたり、いろいろと落ち着かないというより、訳のわからない収拾のつかないような事態があちこちで発生しているみたいである。視座を少し遠くに置いて、映画で早回しをするように、様々な訳の分からない事象を進行速度を速めて早回し風に眺めることができたら、筒井康隆などが良く利用したスラプスティック物語みたいに見えたりするのかもしれない。異様なほどの滑稽さとでもいう、そんな映像風の見え方ということだ。
わけわからん、ということなのだけれど……。


【18年10月17日】

来週から、週二日非常勤職員として働きに出ることとなる。我ながら意外な展開ではあるけれど、知人からの依頼ということであれば、むげに断るわけにもいくまいという判断ではあった。
今週後半は、そのための準備作業に時間を使うことになる。『狭衣』と『韓非子』、並びに図書館から借りてきた本を読了することはそのままとして残し、その上に準備の時間を設けることになった。結果として、俳句に使う時間が食われてしまうこととなる。これはちょっとまずいかもしれない。しかしまあ、やむを得ないかもしれない、と思う。
12月に第2回目の俳句講演会があるとしても、今度は実作指導が中心となるので、「一物仕立て」と「取り合わせ」の2本柱を中心とした講義を前半に、後半は実作をしていいただき、まとまった句ができれば、作品集としてまとめることになるかもしれない。
来週早々は、岩城先生の都合で「参句会」の進行を担当することとなる。従来の進め方をほぼそのまま踏襲すればよいのだろうとは思うけれど、さすがにちょっと気が重い。まだ、京都行の高速バスの予約を取っていないので、この後、予約センターへメールを入れなければならない。
今日は、先ほどまで『第九』の合唱練習。運営連絡なども行わなければならなかったので、その分調子を崩してしまったような気分だった。実際、喉が痛い。風邪というわけではあるまいけれど、不安定な天候が体に影響を及ぼしているのかもしれない。やたらと喉も乾くし……。
なんとなく、落ち着かない毎日が続いている。身辺に、いろいろ細かい出来事なども重なって起こる。
本日の新聞の占いコーナでは、ともかく強気で、しかも慎重に事を進めよ、的な文言であった。わかるような、わからないような奇妙な内容である。
久しぶりに、本格的なSF小説を読了した。早川SFの短編賞に入賞した作品ということだったが、東大の物理と東京芸大とを卒業した作家ということで、なかなかユニークで読み応え十分の作品ではあった。嘘を本当らしく見せる構想力が本当に半端ではない、と思わせられた作品だった。ちょっとまた、SF関係の本を読んでみたいような気分にさせられた一冊だった。読書は、楽しい。


【18年10月12日】

夜に入って、雨が降り出したようだ。強い降りではないようだけれど、カーテンを閉めた部屋の中にも、雨音が届くほどの降り方ではある。今日は、昼間も長袖に長ズボンという姿で、それで暑さを感じないくらいの気候になっている。寒い方は対処しやすいけれど、暑い方は対応に限度があるので(エアコンをガンガン効かせたら、確実に冷房病になるだろうという自信がある)、寒さに向かう気候の方が気分的にもまだまし、ということなのだろう。
合唱について、運営の方にも関わることとなって、活動に対する協賛をお願いする役割に就いた結果、ずいぶん外出することが多くなった。日によって、二度、三度と自宅から市内へと車を走らせることもある。幸い今日は1件だけだった。前日にアポをとってあり、快く了解もしていただいていたので、かなり気分も軽く出かけたけれど、その後色々とあって、2時間くらいそのことで時間を使うことになった。とはいえ、世の中と直接かかわる機会が少なくなっていたこともあってか、それ自体が何となく新鮮な経験のような感触があって、疲労はしたけれど、気分的には特に問題はなかった。
帰りには、身内が入院している病院へちょっと寄り道して、その後帰宅する。帰宅後、1回に1件ずつと決めていたので、次の依頼者へと電話を入れる。相手の方は、なかなか狷介な雰囲気の持ち主ではあったけれど、若干のやり取りの後に協賛していただけ、アポも取り付けることができた。なかなか順調に事が運んでいるようである。
気楽に楽しく歌うだけではなく、全くのボランティアではあるけれど、裏方的な役割を経験してみるのも悪くはないかも、などと思う。
少しは社会性というものが復活している兆しなのかもしれない(面倒だな、と思いつつも……)。

『韓非子』下巻を順調に読み進んでいる。時には、本文を引用紹介して、平成の現実に引き写してみたくなるような一節にも出会ったりしながら、面白く読む。本文を主として読むと、眼前の現実の方が滑稽なパロディのように感じられたりする時もあるのだ。基本的に、主君による国家と官僚・人民の統治法的な内容なので、現在の政治的な事柄と重なったりするところが興味深い。主旨に応じて、史実に無いような作り話的なものが結構出てきたりして、それはそれで面白いところもあったりする。筆者の便法的なものなのかもしれないけれども。



【18年10月10日】

十月十日、今日は「萌えの日」だそうだ。十を横に並べると、なんとなく草冠で、その下に日と月とくれば、確かに漢字の「萌」の字に雰囲気が似ていなくもない。一体誰が思いついたのだろうかと思うけれど、これはこれでとても面白いと思う。日本人は、こんふうな「語呂合わせ」的な方面にいい感度を持っているな、と改めて思う。

朝の連続ドラマ「まんぷく」。「半分、青い」引き続いてお付き合いしているけれど、関西風味を全体としてあまり感じない中で、主人公の演技だけがちょっと浮いているような気がして、しかもそれがなんとなく気に障るような部分があって、それがもったいない。演技派の女優で、シリアスな演技に定評があるとか、あるいは演技派女優として力量のある演者であるとか、ずいぶん高く評価されているのに、この役柄とこの作りすぎたような演技に関しては、なんとなく違和感のようなものを感じてしまう。特に、関西地区の人たちはこの主人公やドラマをどう感じているのだろうか、などと余計なことを思ってしまう。松坂慶子の「母役」も、正直見ていて気の毒になってくる。なぜ、松坂慶子にこんな愚かな演技をさせるのだろうか、とちょっと腹が立ってくるような気分にすらなってくる。作家さんとか演出家とかが、「関西」に妙に歪んだ思い込みを持ちすぎているのではないか、などと思ってしまう。勝手な個人の思い込みだけれども……。

九州の兄から、面白い時計をおくってもらう。スマートウオッチとか呼ばれる種類のものらしいけれど、単に時計としての働きだけではなくて、スマホとの連動でいろいろな機能を発揮する。電話やメールの着信などをはじめとして、天気・気温、歩数・消費カロリー、脈拍なども同一画面で表示される。特に便利に思っているのは、「歩き」の際の歩行時間・距離・脈拍・歩く速さ、さらにはGPS機能を生かして自分が歩いたコースまでが表示されるというところだ。さらにいろいろ機能はあるらしいけれど、それはこちらの力量を越えたところがあるので、いまのところ手付かずの状態である。ありきたりの感想だけれど、世の中本当に便利になっていくものだ、としきりに感心している。腕時計自体はあまり好きではなかったのだが、これは大きさも小さくて邪魔にならず、手につけていてもほとんど気にならない。

諸般の事情から、初対面の人に会う機会が増えた。他人とのやりとりはちょっと面倒くさいなと思うタイプの人間であると自己査定しつつ、諸般の事情はやむを得ないもの、と思うことにする。明日も、一人全く面識のない人と会って、いろいろお話をすることになっている。どうなることやら……。



【18年10月6日】

朝から蒸し暑い。すでに台風25号の影響は現れていて、南風が強まりつつあるせいだ。近所をぐるりと1時間ほど歩いてきて、汗をかいて帰ってきた。
今回の台風は、進路の東側が通過するので、日本海を通過するとはいえ、なかなか厳しいものがあるかもしれない、と思う。相当強い南風が吹き込んできそうだ。移動速度も速いので、その分風速は増すらしいし。困ったものだと思う。
今は書斎にいてこれを書き込んでいるのだが、南向きの窓は真夏並みにカーテンを二重に占めているのに、そのカーテンの層を通じて外の暑さが伝わってきているようだ。今日の予想気温は31度。10月なのに、ということはもう通用しないような、そんな自然環境の中に突入しているのかもしれない。冬の寒さと豪雪が本当に心配である。
知り合いと話をしていて、「今年はカメムシが多い」とは、その知り合いの言葉。カメムシの多い年は、冬寒いと言われているらしい。長年の経験則から生まれた予想なのだろうけれど、大当たりとなりそうな気がする。
数年前の大雪の時は、湿雪の重さで、巨大な送電鉄塔が根元からぐんにゃりと曲がり、倒壊してしまったことがあった。実家の隣のピアノ教室の庭の巨木が、幹の途中から折れてしまうということもあったりした。折れた木になぜかムクドリの集団がやってきていたのも覚えていたりする。そんな冬にならないことを今から思ったりもすることだ。

「友達を大切に」などは確かに大切な価値のひとつではあるのだろう。しかし、その価値を称揚するのに「教育勅語」をわざわざ持ち出すところが、明らかに意図的でもあり、うさん臭い。文科大臣に選らばれたお礼に、総理に忖度の一言を語っておくのも、政治家のいやらしい手法のひとつなのだろう。以前も同じことがあった。今後も折に触れ同じような発言を口にする与党議員が現れるだろう。繰り返し語ること。それがいつの間にか、耳慣れた言葉へと変質し、やがて社会が容認する発言となることを勘案しての行動でもあろう。とはいえ、そんな発言が自らの足元を崩すことにもつながりかねない危険性をはらんでいることを、どの程度計算しての行動かというところに、その政治家の力量の一端が伺われるという面もあるのかもしれないけれど(今回の人は、批判されてすぐに言い訳に走った辺りが力量のほどということになるのかもしれないが……)。ちょっと口に出しては。社会やマスコミ(最近は忖度マスコミが多くて、その判断や営為がまるであてにならないことも多々あるけれど)の「あたり」を測るということは、しばしば行われることでもあるし。

「第九」公演まであと1ヶ月あまり。歌うだけではなく別の役割を抱え込むことになったので、少々気が重くもある。月の後半からは、定期的なお仕事も入り、ちょっと今までとは生活環境が変化するので、それも少々煩わしいような気分になる。さて、どうなることか……。



【18年10月2日】

免疫療法に道を開いた方が、ノーベル医学賞を受賞した。
世間がこの話題で持ち切り状態(そうでもないかもしれないが、よくわからない)の中で、私は知人であったSさんのことを思い出す。SさんはG大学で医学部部長まで勤められた人で、私は俳句が縁で、Sさんと親しくなった。私より何歳も年上の人だったけれど、そんな年齢の差を越えて、年少の私ともずいぶん親密にお付き合いをしてくれた人だった。俳句に対してはとても純粋で、そして他の人には作れないような、ちょっと俳句の本道といわれるところからは外れた、しかしとても面白い作品を作られる人だった。
医学部では、癌研究をテーマとして医療分野とは別の研究職的なところで主に仕事を進めておられた。ところが、「医者の不養生」という言い古されたような言葉があるが、癌の専門家であるはずのSさんがその癌に侵される身となってしまった。
なぜ専門家のSさんが、その癌に侵され、重篤な状態になるまで気が付かなかったのか、素人の私にはその事情はわからない。私たちは、Sさんが手術を受けることを内心強く希望していたのだが、Sさんは手術をうけることを選択はされなかった。「なぜ」と私などは今でもそんなSさんの判断が、気持ちの部分で納得できない思いが強い。しかし、専門家のSさんにとっては、すべてのことがすでに見えておられたのかもしれない。
そんなSさんが、唯一治療法として選択されたのが、癌の免疫療法だった。それが、具体的にどのようなものであるのか、私にはわからない。ただ、それがまだ開発途上の癌の治療法であり、Sさんご自身が、その実験的な癌治療法を試されることを、自らの身に選択されたということは、本人の口を通して教えていただいたことはあった。
結果としては、その治療法は思わしい成果が上がらず、Sさんは亡くなられた。
Sさんの死は、とてもショックだったし、大きな欠落感を感じた。その人が亡くなったことで、自分の人生の楽しい部分の一部が確かに失われてしまったような思いにすらなった。そんな経験は、自分にとっては初めてのことだった。
私が、Sさんの身の回りにおられた方たちと、現在も連句の場を共有しているのも、その目的のひとつは、なくなったSさんの句作の顕彰の思いが強い。だから、歌仙の中に数句、Sさんの作品を取り込んで連句を巻き上げるということを私たちは行ったりもしている。
癌に対する免疫療法が、着実に成果を上げつつあり、そんな中で今回ノーベル賞にその分野の研究者の方が選ばれたというニュースを目にしながら、自然とSさんのことを思い出した次第である。