日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

9月分「日々録」 10月分「日々録」 11月分「日々録」 12月分「日々録」


【1月28日】
昨夕、研修旅行から帰宅。3泊4日で五竜遠見へのスキー研修。各クラス完全分宿制の研修。テロの余波を受けて、沖縄への旅行が急遽スキー研修に変更されたのだ。多くの学校で海外ないしは沖縄への研修旅行が変更になり、この時期に旅行を実施することになったというニュースを聞いたのも、宿泊先のロッジでのことだ。
一日目二日目は天候に恵まれ、レッスンは順調に進む。初日午後のレッスンでは、リフトの上から眺めると、ゲレンデのあちらこちらで、生徒たちのスキー、スノボーとの悪戦苦闘の姿が眺めやられる。しかし、二日目にはすでに危なっかしいながらゲレンデの滑走が出来るようになっている。ゲレンデ上部へ行ったスキー班の生徒たちは、この日雄大な後立山の白馬連山から五竜、鹿島槍の雪嶺を眺めることが出来たらしい。二日目の夕方から降り出した雪は、一晩で30センチほど積もり、三日目には降雪の中での研修となる。昼頃天気は回復し、宿のオーナーさん達の心尽くしの炊き出しのカレーライスを生徒たちはゲレンデで食べる。午後になって気温が下がり始め、天候は急変して風雪状態となる。猛烈な風がゲレンデ全面を地吹雪に変える。レッスンを受けている生徒達の姿が雪煙の中に消え、リフトが停止する。風の息の間に、列をなして生徒たちが滑り降りていく。雪山の自然の激しさ厳しさを身に沁みて実感したことであろう。
最終日、研修の疲れや慣れない集団生活のせいか、前日にも増して体調不良を訴える生徒が増える。午前中に最後のレッスンと閉校式、昼食後、帰校となる。
今日、明日は代休となる。午前中は、3年生の学年末考査の採点。昼前に久しぶりに走る。風が寒い。京都北山両丹国境尾根が積雪のために白く輝いている。午後は、遅い昼食を取り、買い物に行く。少々眠い。

【1月24日】
荷物の整理、終了。思ったより時間がかかってしまった。たいした準備があるわけではないのだが、だらだらやっているうちに9時くらいになってしまったのだ。バッグ一つと小さなザック。明日は朝が早いので、玄関に置いておく。
軽く飲む。今から寝ても、どうせ寝付けないだろうから、いつもと同じペースで時間を過ごすつもり。もう少ししたら、ベットに入り、横になったまま本を読んで、11時くらいには消灯、ということになるだろう。目覚ましは4時半にセットしておかなければならないだろう。
今日は忙しかった。授業4時間。研修旅行の結団式。放課後は、旅行後の授業の準備。国語表現は、実質最後の授業。「5年後の自分にあてての手紙」という作業。心づもりとしては、この手紙は執筆後すぐに生徒自身の手で封印。5年間こちらで保管しておいて、希望者には5年後に郵送するつもり。希望の有無は、4年後に連絡してもらうということにする。4年後まで、生徒諸君が覚えているかどうか、ということはあるのだが。今回初めての試みなので、実際どうなるかはわからないけれど、何とかなるのではと思っている。これは、毎年最後の授業の時にやったら面白いかもしれない、とも思う。


【1月22日】
岩波新書『中国路地裏物語』上村幸治著。改革・解放後市場経済へ移行した中国の現状を丹念な取材で紹介したもの。大変面白かった。あくまで「人」に焦点を据えた取材が、中国という恐らく21世紀のアジアの政治・経済を左右するであろう超巨大国家の一面を身近に感じさせてくれる。珍しく再読した一冊。
土曜日午後、府下大会のクラブ引率で半日寒い体育館(バドミントンの試合では空調は使えない)にいたせいか、体調を崩してしまった(午前中引率を担当した先生も風邪をひいてしまったが)。月曜日、体調が戻らず授業だけ終えて、午後は年休。早々に帰宅して寝る。熱が出ていた。ひたすら寝る。長い夢の中で、なぜかスキーをしていた。火曜日、回復する。今週末から、3泊4日でスキー研修の引率に行くので、体調不良のままでは辛いことになってしまうのだ。
角川の『2002年版俳句年鑑』を少しずつ読んでいる。前年度1年間(2000.10から2001.9までだそうだが)の成果自薦5句が紹介されている。素晴らしい句もあれば、一年間の成果がこの程度か、と首を傾げるものまであって、それなりに読み応えがある。その中には、先日亡くなった佐藤鬼房氏の句もあった。5句いずれも胸に応える作品であった。「生き延びるまた青鹿(あをじし)に遭へるかと」「死後のわれ月光の瀧束ねゐる」良い句だな、としみじみ思う。先日の句会で岩城先生の出された弔句などを思い出しもした。


【1月18日】
不思議な雲を見た。昼の立ち番を終えて、何気なく空を見上げた時だ。棒状の雲が5本、東南東か、南東方向から中天に向かって真っ直ぐ伸びている。若干放射状に見えるのは目の錯覚なのであろう。かなり上空の雲だ。絹雲が浮かぶ辺りに、幾何学模様のように平行に5本並んでいる。生まれて初めて見る情景で、美しいというよりは少々気味が悪い。これは、「かげろう」と呼ばれた雲なのだろうか、などと思う。進路室に帰り、しばらくして廊下に出た時空を見ると、全天雲に覆われていて、先ほどの雲がどうなったのかもう分からない。
三々五々、生徒が国表の課題の評論を持って来る。昨日と今日の2時間に渡る作業で、課題は「私の探求(生物的存在としての私、哲学的存在としての私、社会的存在としての私、という3点から『私』について考察せよ、というすこぶる重く、堅いもの)」生徒にとっては自己の限界に挑戦するような課題となったようだ。時間内に終わった生徒は数人、あとは出来次第提出ということにする。夕方までには、だいだい皆提出したようだ。これで、今年度の国表の授業は9割5分終わったことになる。あとは、来年度の受講生のために「アドバイス」を書いて貰うだけだ。
掲示板に久しぶりの書き込みがあった。昨年度の国表の受講生二人だ。懐かしい名前である。二人とも傑作・怪作となかなか面白い作品を書いていた事など思い出す。僕も、好きな事をさせて貰いました。
夕方、走る。昨日から寒くなって来て、走るのには都合が良い。体温が上がらない、というのは走るときに体の負担を軽減するのだ。気持ちよく走る。

【1月15日】
今月号の『俳句研究』を開いてびっくり。「この人、この結社」のコーナーは、岩城先生であった。結社の紹介は、「『参』はここ数年、開店休業。再刊が待たれる」とあった。結社誌のない結社、いいかえれば、主宰と会員が句会を中心にして直接繋がっている、という現在の在り方も、それはそれで良いような気もするのだけれど。結社誌がない、という状態に慣れてしまったのかもしれない、などと。同号には、岩城先生の作品20句も掲載されてあった。「おろそかにせず盆路を歩きゐる」「座して考曲げず崩さず桐一葉」「桐一葉」の斡旋が面白い。「水垢のおらおらを見つ日向ぼこ」「おらおら」が面白い。「胎の子のとうとうたらり冬たんぽぽ」なんと言っても「胎の子」の有り様を「とうとうたらり」とゆったりと詠うところが良い。季語が微妙な味を付けているとも思う。
同誌「haiken招待席」には、杉浦圭祐さんの句も掲載されていた。さりげないのに不思議な味わいを持つ句を作られる、と思う。へたをするとただ事に近い句になる危険性があるのに、そこに一線を引く詩心の有り様を思う。面白い。
1泊で九州へ行って来た。母に同行したという形。少々疲れる。母も今日一日寝ていたらしい。気楽な旅行、ということでは無かったので、その分気疲れしてしまったのかもしれない。往復は、関空から飛行機で。久しぶりの空の旅で、高度8000メートルで見る雲の姿の美しさに、1時間のフライトの間中見とれていた。ほとんど、高所恐怖症である事を忘れていた。
今日は、若干疲れ気味で仕事に臨むこととなる。授業は3時間。教科会議1時間。放課後は、就職未定の生徒の為の企業説明会の実施要項作り。6時前に、退勤。歯医者へ行く。治療の方は、型どり段階まできたが、歯石取りが、軽い麻酔をかけているにもかかわらず本当に痛かった。口中を引っかき回されているようで、思わず涙目となる。その後、もう一件、医者の梯子となる。9時前に帰宅。鍋焼きうどんの夕食であった。

【1月12日】
朝から良い天気だ。ぽかぽかとして日差しが暖かい。醍醐山の方は、冬靄の為に見えない。起きてすぐ、洗濯をする。日中は3月並みの陽気になるらしい。一日で洗濯物は乾くだろう。
気分が良いので、走ることにする。伏見桃山城の方まで。走りながら、冬枯れの雑木のあわいから天守閣が望まれる。坂道の上り下りでしっかり汗をかく。帰宅すると、洗濯が終わっている。着替える前に、ベランダに洗濯物を干し、その間に風呂に湯を入れておく。干し終え、朝湯に入り、遅い朝食を食べ、コーヒーを飲みながら、ほっとした気分となる。
正岡子規が野球の殿堂入りをしたそうだ。子規の野球好きは有名な話だけれど、殿堂入りとは。それを決めた人の判断をよしとすべきか。それにしても、「ベースボール」を「野球」と訳したのは子規かと思っていたのだが、別の人であることを今日の新聞のコラム欄で知った。「投手」「死球」などの用語は子規の訳したものが、現在までそのまま使われているとのこと。
午後からは、近所のドコモショップに携帯電話を買いに行く。昨夕、職場からの帰りに寄った店で、必要な書類(公共料金の領収書)がないということで購入を断られてしまったので、日を改めて近所の店の方に行くことにしたのだ。その後は、自宅で本を読もうと思う。『陰陽師』は読んでしまった。もう一冊このシリーズはあったと思うので、買ってこなければ。

【1月10日】
昨夜、11時過ぎから句を作る。ベッドに腹這いになって、季語集を横に置いて作る。年末から年始の出来事などを思い出しながら、なんとか句をものしようとするが、なかなか出来ない。やがて、気が付いたらうとうととしていたらしい。時計を見ると、すでに11時半を過ぎている。これではいかん、と思って、気を引き締め直す。ある瞬間、ふっと句が生まれる。御降の句1句。故郷の元日は、近年になく一日中かなり強い雨が降っていたのだ。寝正月の句。これは、甘えんぼの甥っ子がモデルになっている句。年賀状の句。これは、以前担任をしていた教え子の年賀状と、授業を教えていた生徒の年賀状から触発された句。12時になる前に3句出来、一安心して眠る。甥っ子、姪っ子が出てくる夢を見る。
今日は、新学期3日目。授業は3時間。国語表現の授業は、新年らしく5年後の世界と日本と宇治と自分を予測するというもの。おまけに2002年を予言するとして、今年起こりそうな事を書いて貰った。なかなか面白い予言が集まった。明日の授業の時に紹介する予定。放課後は、試験の採点と進路部での採点整理。結構時間がかかる。隣の部屋では今月末のスキー研修の打合会が行われている。本当は、そちらの方にも顔を出さなければいけないのだが、ともかく採点整理の方に集中する。夕方、走る。今日も随分寒く、面倒だなとも思うけれども、走り始めると気分良く走れる。昨日、クラブに顔出しして本当に久しぶりにちょっと練習に参加したら、足腰が少々突っ張るような有様となり、大丈夫かなとも思ったけれど、走り始めたら逆に張りが消えた。今日は、短めのコースを走る。
携帯電話を買うことにした。必要を感じたからだ。巷で見かける携帯電話の使われ方が嫌で、あんなもの、一生持つものか、と思っていたのだが、持っておいた方がいいかもしれない、と考えが変わった。職場の途中にドコモショップがあることを知っていたので、帰りに寄ってみたら7時までで閉店していたので、明日寄ることにして、寄り道ついでに本屋に入って本を1冊買って帰る。


【1月8日】
今日は、始業式。ずいぶん寒い始まりの日となった。3限以後授業。早速、3年生の授業。3年生は残り1月の授業となる。評論をする。筆者はル・グウィン。『ゲド戦記』の作者である。「影と子供」という題名。アンデルセンの「影法師」を題材とした評論。「人間」あるいは「自分」というものを考察する一つの素材を提供すると考え、選ぶ。そう言えば、『ゲド戦記』の最初の話は「影との戦い」というものだったのではないか、と思う。
国語Uは、別役実の「もずが枯れ木で」という随筆。別役氏らしいちょっとひねくれた視点が面白いかも、と思って選ぶ。その「ひねくれ」の部分は、授業の中で扱うのは随分と難しいのだが・・・。3学期第一日目としては、悪くない一日だったように思う。夕方、走る。日没後は、一層冷え込んで、アップダウンの多いコースだったが、殆ど汗をかかない。顔が冷さのためにこわばってしまった。この冬一番の寒さではないか、と思う。夕星がキンと澄んだ光を放っていて、綺麗だった。
途中で夕食の菜を買い、帰宅。車中では、『陰陽師』の続きを読む。夢枕氏は、本当に良い素材に巡り会ったのでは、と思う(素敵な金脈かもしれない)。作品の背後に、『今昔物語』や『伊勢物語』などの説話的(『伊勢』はいわゆる説話とは違うようだけれど、多くの人々が好んだ物語世界の集大成的な側面があるのだろう。昔のエンターティメント小説か。)世界が揺曳している。


【1月7日】
今日は、七草の日。帰りのスーパーでは、野菜コーナーの一角に七草の詰め合わせパックが売られ、同じ場所に簡単に七草粥が出来る北海道産の乾燥七草まで売っていた。値段は、結構高かった。買おうかな、とも思ったが、気分だけ味合わせてもらうことにする。
今日は、一日仕事。夕方、歯医者に寄って帰宅。奥歯の治療部分がまた悪くなっていて、歯の一部が欠けてしまったのだ。昨年末から通っているのだが、もうしばらくかかりそうな様子だ。右奥歯が悪くて、左噛みばかりしているので、口が変になったような気がする。困ったものだ。
通勤の往復では、夢枕獏の『陰陽師』を読んでいる。2冊目。本の帯を読むと、すでにシリーズ200万部突破とあり、ミリオンセラーになっている作品らしい。確かに面白い。帰省の折、駅の売店で買って帰省バスの中で読み、ああ面白いな、と感心したのが始まりだった。そう言えば、夢枕獏については、以前にも『幻詩狩』とか『上弦の月を喰べる獅子』とかを読んで、大変面白くて夢中になった事があったものだ。