日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
【9月30日】
通勤電車を降り、駅舎から出る時、決まって日和を確かめている。それが習慣のようになっている。今日は久しぶりに青空が覗いていた。
仕事が詰まって来ていてなかなかしんどい。授業は3時間。あいている時間帯は、ほぼすべて明日のカリキュラム選択の説明会の準備に使う。
資料作りとその印刷。その合間を縫って、進学希望の生徒の小論文や自己推薦書の添削を行う。そんな時期になったのだな、と思う。明日から十月ではないか。。
明日返すはずの国語表現の創作40作品を読む。マグリットの絵を利用したもの。これは、なかなか面白かった。国表は、準備と出来上がったものを読むのが大変なのだが、結構楽しくて好きな科目である。そんな状態で7時前まで仕事を続ける。
その後、「命の第九」の練習に行く。これは、今年で4年目の取り組み。障害のある人達と一緒にベートーベンの「第九交響曲」を歌う集まりである。
本番は11月23日、長岡京市の市民会館でおこなわれる予定。その練習に城陽市まで行く。
参加者は30名ほど。雨のためか、集まりが今ひとつとのこと。地元の高校生達も7,8名参加している。現役のコーラス部員とのことで、さすがに上手い。今日はその指導者に前任校で一緒だった先生が来ておられてなつかしかった。
帰宅は十時前となる。簡単に食事を取り、これを書いている。この後、漢字テストを2クラス分採点して、後は寝るだけ。
【9月29日】
嚥下音、やっぱり嫌だなと思う。食事の時、ベチャベチャ、ゴキュゴキュ音を立てるのは自分も嫌だし、そんな人との食事の同席は御免被りたいと思う。
上品・下品とかマナーとかいうより、感覚の問題かもしれないが。こだわっています。
人が物を食うという事には言いようのない迫力や感動があるように思う。昔読んだ、スタインベック(だったと思う)の『朝食』という短編は、人が物を食うという事の原点のようなものが描かれてあったように思う。。
しかし、TVの一連の嚥下音CMには、作為はあってもそれ以上の胸に応える(それがたとえCMであっても)ものが何もない(ように思う)。
恐らく有名なタレントを起用しての作品なのだろうが、彼がものを飲み下す音(恐らく音響面で随分手が加えられてあるのだろうが)にどれ程の感動があるのだろうか。
ものを食うということが、この様に物を売らんかなという状況の中で弄ばれている有様は、あるいは現在の日本の現状を反映しているか、とも思ってしまう。グルメどうのこうのと言うのではなく、それは一つの退廃ではないかと思う。
しょーもないご託を捏ねてしまったのかもしれないが、僕はそのような状況はかなわんなと思ってしまう。
今日は好き放題を書いてしまった。
【9月28日】
一週間が始まる。天気は相変わらず今一つ。スカッと晴れた秋空をずいぶん長く見ないような気分になって来る。
今日は授業は2年生の2時間だけ。『史記』と、辻まことのエッセイ『拾う』各1時間。
たまった仕事をかたずける。やりこなしているつもりなのに、いつのまにか仕事に追い越されている。「貧乏暇なし」的気分。
それにしても、本校もとうとうインターネットが繋がった。40台分。但し、情報処理室まで行かなければならないのが、少々面倒。
夕方、早速、国語表現に使う画像(マグリットの絵)を手にいれる。画像変換ツールでちょっと細工して使う。
そんな作業は自宅でやればよいのだろうが、学校でやるネットサーフィンも、また格別(でもないか・・・)。
ところで、最近のTVのCMで何か気になるものがある。それは、味噌汁や缶入り飲料を飲むやつで、その際やたらリアルな嚥下音を入れたもの。
余計なお世話なんだろうけれど、僕にはどうしてもあの音は美味そうには聞こえない。他の人はどう感じているのだろうか。
【9月27日】
秋霖前線の影響で、空は雨雲で埋め尽くされている。昨日の網戸に続き、朝から窓硝子を綺麗に磨く。
午前中、本を読んで過ごす。岩波新書『ドキュメント屠場』鎌田慧・著。
「屠場」とは、牛・豚等の精肉工場のこと。そこで働く人々とその仕事、人間関係、労働争議、差別問題等を取材し紹介した著書。
こういう内容の本は初めて読んだ。登場する人達の仕事に対する誇りと自己の技能に対する自信が印象的だった。
午後、2時間程、知り合いとゴルフの打っ放しに行く。久しぶりの練習。調子は上々。
練習を挟んで、読書。岩波新書『宇宙の果てにせまる』野本陽代・著。最新の研究成果を取り込んだ「宇宙論」。研究者とその業績なども紹介している。
それにしても「宇宙論」とか分子生物学関係の入門本とか、あれこれ想像力を刺激されるようで面白い。。
しかしながら、興味主体で全く系統性のない読書をしているなあと、我ながら思ってしまう。
【9月26日】
都会の雨は汚れているな、とつくづく思う。台風の折の雨で、網戸に雨粒型の染みが出来ている。洗剤を買ってきて網戸を洗う。
午後、久しぶりに京都市美術館に行く。「院展」をやっていた。
何点か、いいなと思える作品があった。中に一点、清水達三という人の作品はゾクッとくる程感動した。渓流を描いた作品。絵の中に鮮烈な自然の生命力を感じてしまった。
多くの作品は、綺麗で上手なんだろうけれど、「院展」臭さとでも言うものが気になって感動まではいかなかった。残念。
同じところで別の美術展をやっていた。内容は惨憺たるもの。新奇というか珍奇というのか。
良い展覧会を見て外に出た時は、外の風景が一新されたように見えるのに、今回はそうならなかった。残念。
こちらの感受性が鈍っているのか、とも思ったりした。
散歩がてら、やや増水している疎水のほとりをぶらぶらしながら、京阪三条駅へ向かう。
【9月25日】
きれいな朝焼けで一日が始まった。
体育祭が実施される。ちなみに午前中の種目は50M走・80M走・大綱引き・ドラゴンレース・騎馬戦・クラス別障害物リレー・クラス別リレー。順調に進行。
ゴール係を担当。必死で走り込んで来る生徒、マイペースの生徒。百人百態というところ。しかし、クラス対抗になると、ぐっと真剣さが増してくる。
高校生のパワーを感じる。。
昼食の頃から、空模様が不穏の度合いを増してくる。
午後の種目、十人十一脚が始まる時には、雷が鳴り始めていた。競技はクラス別のタイムレース。好タイムが出る毎に雰囲気は盛り上がる。
やがて、雨が降り始める。記録が次々に更新されていく。歓声の中でレースは続く。さらに雷鳴が聞こえる。
競技終了と共に大粒の雨が落ちてくる。みるみるうちにグランドは水びたしになっていく。やむなく体育祭は打ち切り。
【9月24日】
台風の為延期になっていた体育祭は明日実施となる。それにしても、天気は大丈夫だろうか。
何年か前の体育祭は、後半が雨の中の競技となった。全身ずぶぬれ、泥だらけと言う有様だったが、生徒達はおおいに燃えた。
でも、雨の中は、やはり少々、つらい。雨、降るなよ。
国語教師は「読む」のが仕事、とはいえ、今日は国語表現の作文(創作)40編、その後、終了した教材の感想文を40枚読む。その合間に漢字テスト(20問)2クラス分80枚を採点。担任でないから出来ることと思う。
国表の創作はなかなか面白かった。今の子はパターンを生かすのが上手い。感想文の方は全体によくない。授業、まずかったんだろうか・・・。
『芭蕉の門人』読了。その人間模様が結構面白かった。俳句をやっていて、結社に入っている人は、これを読んだら色々考えるんじゃないだろうか。
今、天気予報をやっているけれど、やはり天気はいまひとつみたいだ。
照る照る坊主でも作ろうか。
【9月23日】
台風一過、とは言え、天気は今一つ。
散髪に行く。今夏、生まれて始めて丸坊主にしたら、結構具合が良かったので、引き続き丸坊主にする。
髪を刈られながら、昨日の台風の被害や、伊勢湾台風の時の水害の話、さらには、3年前の阪神大震災の折のボランティアの話などを聞く。
震災の時、ボランティアとして神戸へ行き、無料で散髪をしている時、その横で開業している理髪店があり、困ったという話。
困惑しつつ、行列を作って調髪を待つ人の為に髪を切り、髭をあたる主人の姿が思い浮かぶようだった。
そういえば、今のマンションに引っ越してこの理髪店に来るようになって、こんな風な話をしたのは今日が初めてだった。
台風がもたらした縁とでもいうのだろうか、などと思ったりした。
夕方、雨が降り出した。ジョギングの最中で、濡れ鼠となる。
【9月22日】
刻々台風接近中。暴風域に入ったせいか、外は雨と風とですごい様子になっている。。
暴風警報発令により、学校は朝から臨時休業となった。午前中、学校にいて、午後、休みを取って帰宅する。
マンションの7階から、雨と風になぶられる街が見える。自然のエネルギーの凄さを改めて思う。
風は北から吹いてくるのに、雲の塊は山科の方からこちらに向かって(東から西へ)流れてくる。空は奇妙に明るい。
雨が屋根から屋根へ飛び移っていく。木々が大揺れに揺れている。
今、消防自動車がサイレンを鳴らしながら走って行くのが見えた。こんな状況の中で、どこかで火事が起きたのだ。。
雨風が一時弱まったかと思ったら、再び激しくなってきた。
台風という姿を借りて、自然が激しく喘いでいるようである。
【9月21日】
台風接近中のため、明日の体育祭は中止となる。暴風警報がでれば、授業も危なくなるかも。生徒達は何となく嬉しそうな風・・・。
さらにまた、台風の余波として、大山マラソンも断念する。毎年23日行われ、ここ10年ほど参加し続けてきたのだが。
岩波新書『芭蕉の門人』(掘切実・著)を読んでいる。芭蕉十哲の話。
通勤の近鉄車中、往復で門人一人分を読むというペース。去来・杉風・許六と読み、明日は丈草。
丈草については、以前角川『俳句』で小説化され連載されていて面白かったので、明日読むのが楽しみだ。
そう言えば、今夜は伏見城がライトアップされていない。これも、台風の余波か。
これを書き終わったら、寝室に行って読書のつもり。
それにしても、最近、眠くてしかたない。
【9月20日】
昨夜はコンサート本番。音楽の神様とフォルトゥナ(運命の女神)は我らに味方してくれたようです。
昨夜は合唱を聴きに来てくれた友人達と四条で飲んで帰宅は午前様。
今日は眠くて仕方がない。
9ヶ月間の練習の成果が、1時間15分ほどに凝縮された濃密な時間を味わいました。
合唱は癖になりそうです(完全にはまっているか)。
【9月18日】
今日で文化祭も終了。三年生のパフォーマンスが行われる。歌あり踊りあり手品あり縄跳びありと盛り沢山。
結果発表、後夜祭(生徒は「後の祭」と呼んでいたが)と進み、大きな行事もお仕舞い。
夕方、地下鉄で鞍馬口へ。京都市交響楽団の練習場へ行く。コンサートのリハーサルである。
オルフの『カルミナ・ブラーナ』の本番が明日。そのために9ヶ月間、練習を重ねてきた。京都コンサートホールで行われる。
出来は今ひとつか。本格的にオーケストラが入って、いつもと勝手が違ったようである。
ソリストはさすがであった。つい、聞き惚れてしまう。
10時前に帰宅。故郷(くに)から母が来ていた。明日のコンサートを聴きに来たのである。
明日の出来は、音楽の神様とフォルトゥナ(運命の女神)が知るのみか。
【9月17日】
今日は文化祭第二日目。受付の合間に演劇見つつ、感想文を読む。(感想文読了、バンザイ!)
今日の劇は結構粒揃いで、見応えあり。特に『今を生きる』は感動ものであった。
参考までに演目紹介。『美女と野獣』『スタンド・バイ・ミー』『ロミオとジュリエット』『竹取物語』。
さらに『ルパンV』『オリエント・エクスプレス』『マイ・フレンド・フォーエバー』なかなか多彩な演目です。
夕方ジョギングをして、その後行きつけの店で浅酌。
浅酌のはずが、やや度を過ぎ、『酒中日記』状態となる。
帰宅後、ギョギングで汗だらけとなったものを洗濯。さすがにもう「夜濯ぎ」という風情ではない。
夜11時30分過ぎのことである。
【9月16日】
今日は文化祭第一日目。展示・演劇など見てまわる。
生徒達は少々手持ちぶさた気味か。「文化」なのか、「祭」なのか、性格付けは難しいところ。
受付業務や見回りの合間に、今日も読書感想文を読む。4クラス分、数日がかりの仕事もなんとか先が見えてきた。
書く方の生徒諸君も大変だろうけれど、読む方もホントーに大変なんです。
先日、数日かけて瀬名秀明・作『BRAIN VALLEY』読んだ。なかなか面白かった。
今日、瀬名秀明・監修『ーBRAIN VALLEY研究序説ー神に迫るサイエンス』を図書館で見つけて、早速読んでみた。
前者が「文学で科学を楽しむ」ものなら、後者は「科学で文学を楽しむ」とでも言えようか。
今夜も気持ちの良い風が部屋の中を吹き抜けていく。
【9月15日】
今日は一日自宅にいてホームページの更新と読書。夕方ジョギング。
『私の居場所・・』読了。面白かった。フェミニズムの観点からの少女漫画論。
筆者の視点の確かさ、感性の柔軟さを感じる。
台風の影響か、今日一日空の様子が多彩で美しかった。
京都の昼はまだ残暑が厳しいが、夕方から夜に入ると涼しくなる。
気持ちの良い風が部屋の中を吹き抜けていく。
マンションの七階から、ライトアップされた伏見城が眺められる。
何もない一日だったな、と思う。
【9月14日】
今日は40分5限授業の後、学校祭の準備。
担任は大変だが、担任外は比較的余裕あり。
午後は,会場設営を挟み、夏休みの宿題の読書感想文をまとめて読む。
なかなか、大変。
8時前に帰宅。食後、ホームページの一部更新を行う。
後は、ベッドに入って読書の予定。
藤本由香里著『私の居場所はどこにあるの?』
そういえば、今日添削した生徒の小論文の題が「私の居場所」であった。偶然である。
【9月13日】
丹後峰山の「いさなご句会」に参加。
丹後の緑がなつかしい。
4時間程の句会。一句毎に、岩城先生の寸評が加えられる。
四方山話を交えて、のんびりと進行。土地に根ざした話が聞けるのが、この句会の楽しみでもある。
のんびりし過ぎて、電車の時間ぎりぎりに駅へ。
帰りの車中で、ビールを片手に第二句会(?)。題詠。題は次の通り。
「簟名残」「行水名残」「秋の初風」「盆鯖」「からすみ」「白露降る」「盆栗」「ほおずき」など。
難しかった。
俳句漬けの一日でした。