句集紹介・4
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辻田克巳『昼寝』 ー多彩な表現を支える深い人間洞察のまなざしー            
この句集紹介ですでに紹介してきた何人かの俳人たちが、第5日曜日に句会という形ではなく俳句について考えてみようという集まりを持っている。名前を「醍醐会」という。竹中宏を発起人として、すでに20年以上も続くこの集まりは、来年100回を迎えようとしているという。その「醍醐会」の今回(5月31日)のテーマが辻田克巳第5(なんという偶然)句集『昼寝』であった。
 句集『昼寝』の特徴を一言でいえば、その表現の多彩さということであろう。575という限定された表現形式の中にあって、この『昼寝』の394句は、俳句表現の様々な姿を示しているといえよう。そこにあるのは、辻田克巳という無類の「言葉」の使い手によって現出した「辻田ワールド」とも呼べる「言葉の世界」である。
 しかし、辻田克巳の凄さは、実はそこにはない。それら多彩多様な「言葉の世界」を支える、氏の人間洞察の深さをこそ我々は見るべきである。たとえば、『昼寝』20句で紹介する句の一つ「淫靡なるかな中年の平泳ぎ」の句。そこには、文字通り「中年」という年齢存在の持つ本質的な有様が「淫靡なるかな」という言葉によって深くとらえ、表現されている。しかもそれは「平泳ぎ」という様態によって生々しくも哀しく、まさに関西人の気息によって掬い取られ表現されている。多彩な表現は、氏の人間把握に精彩を与えるものとしてこそ強い力を持つ。
 俳句は、575という極小の文学形態である。それゆえに、「ごまかし」の効かない表現形式でもある。言葉の多彩さ、表現の多様さは、ともすれば、内容のなさを糊塗する手段足りうる。そして、そのようにしてなされた句は結果としてどれ程の貧しさをさらけ出す事になるだろうか。翻って辻田俳句を見た時、そこに「もの」「こと」「こころ」に深く触れた豊かな表現世界を見いだす事だろう。京男らしい、諧謔の微笑を口元に浮かべた心憎い作者の立ち姿とともに。      
 
 
『昼寝』20句
全山の絞る力を滝と呼ぶ 惨劇をさながら一家昼寝して
コキクケコカコ昼蛙ゆめうつつ としよりが毛虫いぢめる棒の先
冷蔵庫ひらく妻子のものばかり            金魚玉金魚をふつと消す角度
昼寝などしてゐるうちに逃げられし 夕立あと日が射しまるで新世紀
鉄塔が据わりて冬田動かれず 二階より素足下りくる春の朝
遠足がぐつたりとバス降りて来る 告別の矢印枯野指しゐたり
足袋を穿く妻臥しながら見てゐたり ビル工事寒し堕々々々々々々々と
老人はくさめのあとをぶつくさと 野火放つ一瞬愉快犯の快
ソフトクリーム下からもその甘露なめ 蠅たかる死んでからみな行くところ
また別の涼しさ池のこちら側 淫靡なるかな中年の平泳ぎ